この字を見たことがあるだろうか?
「夢」という漢字が「ありがとう」の文字で成り立っている。
通称「夢ありがとう」
描いたのは画号「てるてる」さんという方。
この字ができた経緯は、こんな話だった。
ある日、夢を見た。
寒々しい風景の中、この「夢」という漢字が空に浮かんでいた。
「夢」はしゃべった。
夢「私さびしい。みんな私をつかまえてくれないの」(女性?)
テル「よし!じゃあ、おれがつかまえてやるよ!」
テルテルさん、ジャンプ!ジャ〜ンプ!
何とかして「夢」をその腕につかまえる。
夢「私、うれしい。」(やはり女性!)
「夢」はうれし涙を流す。
すると墨で書かれたカラダがダラダラとくずれていく。
しだいに「夢」という字は別の文字に変わっていく。
ひらがなで「ありがとう」
最後は、たて書で「ありがとう」という字になった。
そこで夢は終わった。
翌朝、この夢の話を妻に話した。
「はいはい」
朝の忙しい時間だったためか、ほぼ完全に相手にされなかった。
それからというもの、この夢のことが頭から離れない。
ずっと思い続けていた。
「あれは何だったのか・・」
そんなある日、ふと思いついた。
「夢という漢字を”ありがとう”で表せるのではないか?」
そこから約1年の悪戦苦闘、試行錯誤の末、この文字は完成した。
以来、テルテルさんはこの「夢ありがとう」の書を書き、それまでの仕事もやめ、夢を叶える方法について沖縄県内の学校や企業を講演して回っている。
〜9月某日、那覇市某所のオープン間近のプレゼント屋さんにて〜
豊「なんで、テルテルなんですか?」
名刺をもらって真っ先に気になった、
画号「テルテル(漢字で手留照)」の由来。
元々は画号はなく、本名を書いていたそうだ。
そんなある日の新聞に「夢ありがとう」が掲載された。
それを見た入院中の方が是非会いたがってることを、人づてに聞いた。
テルテルさんはその人に会いに行く。
病室に入ると、おどろいた。
その方のカラダにはたくさんの管がつながっていた。末期ガンの方だった。
話すこともままならず、ホワイトボードを使っての筆談。
余命いくばく。もう思い残すことはないと言った彼に、てるてるさんは提案した。
「あなたのことをいつまでも忘れたくない。いつでも思い出せるよう、名前の一文字を画号としてもらえないか?そうすれば書を書く度に思い出すことができる。」
そうして出来たのが「手留照」
意味「思いを手で受け留め、その道を照らす。」
そんなテルテルさんは、おしげもなく超実践的な夢を叶える方法も教えてくれた。
※講演を楽しみにしてる人のために内容は割愛。
その内容は、どれも簡単なものばかり。
しかしながら、それを実践したテルテルさんの息子4人が自分らの夢を叶えている。
なんと全員が甲子園に出場したのだ!!!
しかも、三男までは甲子園出場のために県外の高校へ進学したのに、
四男だけは、低迷時期の県内高校に進学すると言った。
その時テルテルさんは、両親にさびしい思いをさせないための四男の気遣いだと感じた。
テル「気をつかわないくていい。県外に行きたいなら行けばイイ。」
四男「え??」
テル(ん?おや?なんか変なこと言ったかな?)
四男「おれ、幼稚園から(夢を叶える方法)やってるのに(県内高校だと)甲子園に行けないのか?」
テル(うっ・・・)「お、おう。そうだな。」
完全に圧倒された。
夢を叶える方法を教えた方がたじろいだ。
結果、四男は県内の高校から甲子園に4回出場、優勝もはたす。
そうしてテルテルさんは息子さん達にも背中を押され、今も精力的に県内で夢を叶える方法を伝授している。
ということは、、、
コレがうまくいけば、、、
テルテルさんに会い、方法を実践すれば、、、
2020年の東京オリンピック!
沖縄からの出場選手が続出!
そして日本の金メダルラッシュ!
そういうこと!夢ありがとう!
あと6年。
誰もが夢を追ってイイ。
金メダリストは沖縄県民のあなたか、あなたの子供かも知れない。
〜完〜
<ボーナス・トラック>
「テルテルさんの近影」
(ええ私、「テルテル」の由来はヘアースタイルからだとばかり。。)
親愛なるテルテルさんへ。
お会いし話を聞いた後、不思議と気分がスッキリしました。
そして僕には後光も見えた気がします。
豊嶋(大変失礼しました!!)